目的は公立中高一貫校に合格することではない。
飽くなき探求心
私は息子が幼い頃から言っている言葉がある。
【本物の自由を手に入れろ】と。
残念ながら私達夫婦は先に死んでしまう。
そのような自然の摂理も
資産も何も残してやれないことも
現実の世界を幼い頃から教えてきた。
大切な息子に私達のような夫婦が、唯一与えてあげられるものがあるとしたら、
【生きていく力を付けてあげること】
そして、それが教育だった。
価値観を与え、動機づけすることにより、学び続けることが生きるために一番必要だと教えてきた……
公立中高一貫校を受検すると決めたのも息子だった。
公立中高一貫校なら高校受験がないことで、大学受験に向かう6年間を自分達のペースで組み立てられること。
公立なので経済的な負担も少なく、学校の教育理念も共感する部分が多いこと。
何より同じ学校に通う友達の意識が高く、切磋琢磨することによる相乗効果が期待できること。
これらは、息子が自分の能力を最大限伸ばすために必要な環境が整っていることを意味しており、私達のような家庭からすれば、正に理想的な学校だ。
しかし、逆を言えば、与えられた環境の良さを生かせない子は伸び悩むことになり、明確な目標を持たない(持てない)子には苦痛を与えるかもしれない。
どの世界でも同じだが、レベルが高くなればなるほど、付け焼き刃では太刀打ちできない本当の力が要求される。
与えられたものをこなすことが勉強だと思っている子は、自学ができる子に到底及ばない。
どの世界にも上には上がいて、尊敬すべき人はたくさんいる。
他人を羨むことなく、自分の足りない力を認め、更なる成長に結び付ける。
毎日コツコツ一歩一歩確実に進み、真っすぐに伸びた途方もない道を歩き続けるしかない。
同じ志望校を目指す子は、志望理由は違えど同じ道を歩いている。
周りを見渡せば同じ道を歩く人はたくさんいるが、道から見える他の景色に目がくらむと、脇道に逸れて人数は減っていく。
自信が無くなったり、自分自身に負けてしまうと、その道から脱落してしまう。
自分の未来を掴み取るのは、他の誰でもない自分だ。
大学受験も、学歴や見栄を求めて東大を選んだわけではない。
東大で学びたいから(受験するまでの勉強も含む)自分の可能性を最大に広げたいという【飽くなき探求心】からきているのだ。
飽和状態の世の中
時代と共に求められる能力は変化していき、私が子どもの頃に想像もしていなかったことが現実になった。
私と同年代かそれ以上の方なら分かるはず。
昭和の時代に
電話の音がまるで目覚まし時計のようにけたたましい黒電話から、電話線もいらず持ち運びもできる携帯電話なんてものが作られると想像できただろうか?
自分の家からせいぜい2キロ離れた場所を知るのがやっとだったのに、インターネットで世界中の人達と繋がれるなんて未来を誰が想像できただろうか?
もっと便利に!
もっと豊かに!
を求め続けるのが人間だ。
そこに気付き、常に先を見据えていけば、行き着く先は
【飽和状態の世の中】だと分かるはず。
新たな技術やサービスを創造し、競争に勝つには生産性や効率を高める必要が出てくる。
それでも私達人間は、この社会という枠組の中で生きていくしかないのだから、対応していくしかない。
私が子どもの頃と決定的に違うのは、知識の詰め込みだけで通用するような時代ではないということ。
これだけ情報化が進めば、単純に
【知っています】
なんてものは何の役にも立ちはしない。
その知識をいかに活用できるか?
時代が求めるものを新たに生み出していく力が求められる。
「誰かがやってくれるだろう」
「自分には関係ないよ」
と他人事のように思う時代ではない。
そのような危機感を、誰が教えてくれますか?
塾や学校が教えてくれますか?
教えてもらったことがありますか?
必死になって伝えてくれる人がいますか?
それらは誰も教えてくれない。
自分で想像し気付き伝えていくべきもの。
そう、大切な子どものために現実の生き方を教えてあげられるのは
親しかいないのです。